穂高岳 (15座)
- dwv1957
- 2024年12月31日
- 読了時間: 6分
更新日:1月2日
こんにちは、24年度主将のNo.787幸田です。
今回は、槍・穂高連峰にある「穂高岳」の投稿です。
こちらの山行は、私自身大変お世話になった先輩方である浅岡さん(22年度副将)、西山さん(22年度主務)、本田さんに行っていただいた活動記録です。
さて、皆さんは「穂高岳」という山自体は存在しない事、ご存じでしょうか。西穂高岳・北穂高岳・奥穂高岳・前穂高岳など、北アルプスにある標高3190mの山(上述:奥穂高岳)を主峰とする山々の総称なのです。
そのため、一般的には「穂高岳」とは「奥穂高岳」の事を指すみたいです。。
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山域:北穂高岳、奥穂高岳、前穂高岳(長野県)
日程:2024/8/13(火)〜8/15(木)
メンバー:OBOG 浅岡(No.764) 、本田(No.766)、 西山(No.767)
まだやり残した冒険がある。
我々が入部した2020年はコロナの影響により活動が規制され、合宿を伴う山行ができなかった。周りの方々のおかげにより最上回生になって漸く1週間の山行を遂行することができた。だがしかし、これで満足できるはずがない。卒部しても必ず山に登ろう、そう決めていた。
卒部後、それぞれの進路に進んだ同期の部員に声をかけてみた。
日程が合わなかった者もいたが、快く参加してくれた。部活動で築いた信頼関係は深い。(と勝手に思いっている)
山行はリスクを伴うためお互いの協力が必要だ。
つまり、「友情」が芽生え、各々が「努力」する。そして、無事登頂し下山できたことで「勝利」するのである。週刊少年ジャンプの三大要素がぎっしり詰まっている。
そんな仲間と今回は穂高連峰に行くことになった。以下、活動内容を記載していく。
8/12(月)に上高地に入り、小梨平キャンプ場で宿泊予定だったが予約必須であることを確認し忘れ(全員阿保)、急遽徳沢キャンプ場で宿泊することとなった。お盆休みということからテントがみっちりと張られていた。

私が一番に入り、後ほど他部員と合流した。開口一番「クマをみた」と言う。動画を見せてもらったが、キャンプ場のすぐそばの脇道に黒い獣が動いていた。夕食の匂いを辿ってやってきたのだろうか。とにかく、襲われず良かったがなんだか幸先が不安だった。就寝前、ルートと天候を確認する。当初の予定は重太郎新道を通り、前穂高〜奥穂高〜北穂高という反時計回りのルートを想定していた。しかし、どうも天候が良くない。さまざまなリスクを考慮し、最終的に時計回りに変えることにした。
8/13(火)5:00に徳沢キャンプ場を出発し、個沢ヒュッテを目指した。上高地とはいえ夏は暑い。滝汗を流しながら進んでいく。横尾山荘では山岳警備の方に昼ごろから天候が崩れるから早めに山行を切り上げてくださいとの指示をいただいた。

天候が崩れる前にテント場に到着したい。足早に歩を進め本谷橋に到着。

川の水で顔を洗い体を冷やしていく。幾らか休憩を取り、涸沢ヒュッテに到着した。







時間が巻いていたため、すぐにテントを張り、アタック装備に切り替え、北穂高を目指した。岩がゴロゴロしていたり、梯子があったりとスリリングだった。北穂高はガスで真っ白。
何も見えず残念ではあったが、達成感はある。1日でよく登った。下山時に雨が降ってきたためレインを着用し下る。なんとかテント場に戻り、夕食を食べ就寝。ずっと雷が下の方で鳴っていた。


8/14(水) 雨のため出発時間を8:00にした。その頃には雨が止んでおり、無事にスタートできた。また天候が悪い予報のため奥穂高には行かず、穂高山荘を目指した。
ザイテングラートに差し掛かる。まるで恐竜の背中みたいである。ここではよく滑落事故が起きている。気を引き締めて進んだ。死に寄り添うほど、生の鼓動が鮮やかに響き渡り、喜びが満ちる。まぁなんとも気持ち悪いが表現ではあるが、とにかく高揚感に包まれていた。

すると、轟音が鳴り響いた。あたりを見まわすとすぐそばで岩が滑り落ちている音だった。凄まじいスピードであれに当たってしまえばひとたまりもない。声かけを忘れずに、慎重に登りついに穂高山荘に到着した。あたりはいつのまにかガスだらけであった。

我々の代の主将は確かに雨男で有名であったが、彼は今回参加していない。それはさておき、早速テントを張り山荘で大盛りのカレーを食べるという贅沢をした。お腹も膨れ、テントでのんびり過ごしていた。油断していたその瞬間、光と共に銃声が鳴り響いた。銃声?それは耳をつんざく雷鳴の轟だった。2度目の雷鳴ではっきりと「死」を感じた。今撃たれたら死ぬ。
私が怯えている理由はご丁寧にも、1967年に起きた西穂高落雷遭難事故を予習していたからである。一目散に隣にある山荘に駆け込んだ。中では宿泊者が身を寄せ合っており、次々とテント泊の方が駆け込んできていた。雷で体の震えが止まらなくなったのは初めてのことである。徐々に雷鳴は遠のいていったものの、今までの人生で一番の恐怖を感じた。守れる命は自らで守らねばと思い、なけなしの1万円を払い私のみ山荘泊に変更した。


8/15(木)あまり眠れないまま4:30になり、山荘を後にした。雨は降っておらず、真っ暗である。今から奥穂高を目指す。視界も足元も悪い中崖を登っていく。5回くらい滑落する自分が脳裏に浮かんだ。同期に励ましてもらいながら、進んでいく。
ついに奥穂高についた。

またもやガスだらけであった。「ジャンダルム行く人〜〜???」という声が聞こえ、後ろを振り向くと陽気そうなおじ様がいた。安全を考え、ジャンダルムには挑戦しなかったため、おじ様に声援を送り、健闘を祈りながらお別れした。ここから前穂高まで下り基調になる。登りより下りが怖い。クライミング力がなくなり、身体のしなやかさが不足していた。同期に指導してもらいながら歩みを進める。途中、晴れ間がみえたときがあった。

前穂高の麓に着いた時、少し晴れていたため今がチャンスと思い登ったものの最後までガスで何も見えなかった。

こんな山行もあって良い。少し名残惜しいが、上高地を目指して下山を開始した。標高が低くなるにつれ恐怖心が薄れ、スピードが速まった。重太郎新道を通るときには晴れており、地面も乾いていたため滑る心配がなかった。
ベニヒカゲという高山蝶が我々の汗を吸いに手に纏わりついてきた。ほぼ平坦の歩きやすい場所からはランニングで下山していた。もうすぐ上高地というところで土砂降りの雨に打たれたがレインを着ることもせず、一目散に駆け下り気がついたら上高地へ戻ってきていた。








ガスガスかつ、いくつか身の危険感じた山行ではあったものの、最高に楽しい思い出となった。次はより強くなって山行をしたい。
最後に参加してくれたみんなありがとうございました。
文責:No.767 西山 夢花
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